お知らせ

第66回洛星高等学校卒業式が行われました

3月1日(水) 春の日差しに恵まれ、第66回洛星高等学校卒業式が行われました。

卒業生は、式に先立つ聖体賛美式の中で、ウィリアム神父から祝福をいただきました。

以下はウィリアム神父の話です。

卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。保護者の皆さま、ご子息の卒業を心よりお慶(よろこ)び申し上げます。また来賓の方々、この喜びの日に、共に証人となって下さることを感謝いたします。

今日卒業する皆さんは、目の前に広がるこれからの世界に、今から心を躍らせていることでしょう。

あるいは、もう一年、自分の希望を実現させるために努力をする決意している人もいるでしょう。

では高校の卒業式とは何なのでしょうか。もちろん、ヴィアトール学園での6年間の学びを終えたことの儀式ですが、更に、小学校入学以来、12年間もの長い学校生活を締めくくる 「人生で一度しかない儀式」 とも 言えますね。

英語で卒業式を“graduation” と言いますが、アフリカでは “commencement” とも言います。”commencement”とはフランス語で 「始まり」 という意味です。実は、高校の卒業式は、「終わり」 ではなく 「始まり」 なのです。

では、何が始まるのでしょうか? 専門の研究の始まりでしょうか? 親から独立して、自分の責任で社会に関わる生活の始まりでしょうか? それらを含めて、もっと大切な視点は、「生涯教育」の始まりということです。いつどこでも、誰もが、生涯学び続ける 「生涯教育」 の始まりです。

皆さんはヴィアトール学園の教育方針のもとで、たくさんのことを学び、たくさんの情報を得、分析し、自分の考えとしてまとめ、発信していく方法を身につけました。それを土台にして、これからの人生で さらに磨き(みがき)をかけ、自分に与えられた課題や自分で自分に課した課題を、広い視野に立って解決してゆくことができるよう、自分で納得のいく方法を見いださなければなりません。生涯、自分で自分を教育し続けていく覚悟を持ってください。どんな学部に進学しても、自己を教育し続け、人間性を高めていくことが大切です。

先ほど読まれた福音箇所で、「あなたがたは地の塩である」 とイエスはおっしゃいました。イエスと関わって生きようとして集まった人々は、「地の塩」です。塩には、他人を生かし、後の時代のために大切なものを残す役割があります。塩がその役目を果たさなかったら、それはただの白い塊(かたまり)です。なんの役にも立ちません。イエス様は、あなたがたこそ、かけがえのない 「大切な塩」 であり、周りを照らす 「すばらしい光」 だと、おっしゃっているのです。

塩でない人に向かって、無理して塩味を出しなさいとか、光でない人に向かって無理して輝きなさいなど、そんなことを言っているのではありません。あなたの中に素晴らしい「塩」があり、あなたの中に素晴らしい「光」がある。だから、それを生かしていきなさい。これが、イエス様の教えというか、励ましです。

人生には、自分の力で変えられることと、どうにも変えられないことがありますが、変えられないことはたくさんあります。自分の生まれ育った環境を変えることはできません。自分の頭のよさや容姿も、まあ、ほとんど変えられませんね。さまざまな不幸に見舞われることも、自分の力ではどうにもできないでしょう。しかし、そういうところを、イエス様は見ておられるわけではありません。どんな人の中にも、素晴らしい輝きがある。それを生かすかどうか、問題はそこだと言うのです。

でも変えられることも必ずあります。自分にできることはあるのです。その中で一番大切なことは、愛すること。どんなにラッキーな状況でも、どんなにアンラッキーな状況でも、愛することはできます。神さまから見て、大切なのはその部分なのだ、と思います。これがキリスト教の核心です。 単なる「倫理的な教え」として、そう言っているのではありません。イエス様ご自身が十字架の苦しみの中で、ほんとうにひどい絶望的な状況の中で、とんでもないアンラッキーな状況の中で、それでも最後の最後まで愛し抜いたことが聖書に書かれています。そのイエスの中に、いのちの輝きを見つめ、そのイエスのいのちにつながって生きようとするのがキリスト教です。

今日から始まる、皆さんの前途の上に、神さまの祝福を祈ります。もちろん、皆さんの人生が、できるだけラッキーであるように祈ります。でもそれだけではなく、たとえどんなアンラッキーの中にあっても、そこで絶望せずに、前を向いて、自分にできることを 精一杯やっていけるように、神さまの助けを 心から お祈りします。

神様からの助けは必ずあります。私たちがそれに気づいて、自分でそれをつかむことを、神様は願い、待っておられます。

新たな門出を迎えた卒業生の皆さんの今後の活躍をお祈りしています。皆さんも、友人や家族、そしてヴィアトール学園で学ぶ後輩の学生たちや教職員のことを、これからの祈りの中で、思い出してほしいと思います。 このことを心に刻み、それぞれの一歩を、市民の一人としての自覚を持って、歩み出していただきたいと願っています。