Much Ado About Nothing
9日の日曜日、ミサに与った後、尼崎ピッコロシアターで上演されたシェイクスピアの「恋のから騒ぎ」を鑑賞しました。かつての教え子が主要キャストである上に、翻訳が大学時代お世話になった喜志哲雄先生となると、観ないわけにはいきません。
久々に鑑賞した生の舞台は「やはり楽しい」の一言です。特にシェイクスピアの芝居は、ことば、ことば、ことば ー 舞台装置や照明、音響にたよらず、すべてを「ことば」で表現するのです。
今回の演目は「恋のから騒ぎ」、原題は Much Ado About Nothingです。
Nothing、つまり、何もないところに、「ことば」によって騒動が引き起こされ、そして、ことばによって、意識下に潜んでいた感情が顕わになり、さらに騒動がおきる、という喜劇です。ことばによって、在ったことも無かったこととされ、無かったことから何かが起きる―このお芝居は、ことばの持つ力に踊らされる人間の滑稽さを見事に描いているのです。
大学生の頃、喜志先生がこの戯曲のことを授業で熱く語って下さっていたのに、そのときは、次に訳が回ってくる!とか、単位は取れるかな、など目先のことばかりを気にしていたことが、今更ながら惜しまれます。
現代社会をみると、ことばがあふれ、画像・映像もあふれ、フェイクニュースや情報操作、SNS上での誹謗中傷が後を絶ちません。シェイクスピアの芝居のように最後はみんな笑って大団円とは行かないことばかり。
中高生には「見分ける力」を身に付けてほしいのですが、どのようにサポートすればよいのか、大人たちが責任をもって考えていかなければなりません。
そのためには、私たち大人がことばに操られないようにすることが第一なのですね。
シェイクスピアの偉大さとことばの力を再認識する休日となりました。
校長 小田