ヴィアトール祭によせて
10月16日(日)カトリック聖ヴィアトール北白川教会のミサでは、修道会カナダ管区設立175年をお祝いするヴィアトール祭が行われました。(日本のヴィアトール会もカナダ管区に属します。)
ミサの中では、コロナ禍のためここ数年延期されていた初聖体の儀式が行われました。残念ながら聖歌は自粛でしたが、久々にお祝いの華やかな雰囲気の中、ウィリアム神父様を中心に皆が一つになってお祈りを捧げました。
教会のミサは、飾り付けやお祈りの意向作成、聖書朗読、侍者奉仕、冊子作成、など多くの方々の奉仕により成り立っています。
私自身も10代の頃から北白川教会でミサのオルガン奉仕を続けています。
旧聖堂のまだ足踏みオルガンだった頃に「オルガン弾く人がいないんだけど、ピアノ弾けるなら、あなた手伝って」と先輩に言われ、しぶしぶ始めたのですが、あの時オルガン奉仕をしていなかったら、おそらく洛星の教壇に立つこともなかったかもしれません。
これも何かのご縁、いえ、神のお導きなのでしょうか。
今から約30年前、まだ旧い聖堂でヴィアトール祭の日にオルガンを弾いていた私に、一見強面の神父様が近寄って話しかけてくださいました。
洛星の第3代校長を務められ、本校のクリスマスタブローを始められたフランソワ・アラール神父でした。
アラール神父は音楽に造詣が深く、ご自身もオルガニストとして活躍されたのですが、晩年はパーキンソン病のため鍵盤の演奏は難しかったようです。フランスの作曲家による曲がお好きで、セザール・フランクやボエルマンの曲を私が弾くと、必ず辛口コメントをくださいました(もちろんたまには褒めても下さったのですが)。
いつも「いいですか、小田さん、オルガンは祈りです・・・。」で始まり、最後は悪戯っぽく冗談をいって微笑まれるのです。
楽譜とにらめっこして、間違わないように、とか、上手に弾こう、ということばかりに心を砕いて弾いていると、祈りではなくなるよ、という神父様のメッセージは今でも大切にしています。
今年のミサ中の聖体拝領で、アラール神父様がお好きだったフランクの『コラール第一番』前半の一部を心をこめて弾きました。
ミスタッチもありましたが、祈りとして皆の心に響いたでしょうか?
アラール神父様の、「もう少し、ですね。」という悪戯っぽい顔が思い浮かびます。
校長 小田